Mayfly Diary

ここは無人島です

痛すぎるスーパーリアル|ミランダ・ジュライ「最初の悪い男」

 

最初の悪い男 (新潮クレスト・ブックス)

 

ミランダ・ジュライ初の長編小説だ。

 

クレストブックのあとがきにもある通り、ミランダはインタビューにて書き上げるまでの道のりは「苦しかった」と語っている。わたしもなんだか最後まで苦しかった。作家自身の苦しみが手に取るように伝わってくる。登場人物の輪郭はもちろん善とか悪とか、やさしさとか愛情とか、そういうもので表されるものではなくて、主人公のシェリルから見た生々しい姿で描かれている。そんなところはとってもジュライらしい登場人物だし、ストーリーよりも、場面場面を描くことにいかに忠実であるかに重点が置かれている感じも優れた短編を多く書いてきた作家ならではだ。彼女らしい感性がふんだんに盛り込まれた流れに、余韻を引き継ぎつつも、作品を確かなものにするために推敲に推敲を重ねたというストーリー。その調整には腐心したんだろうな。

 

といはいえ、ミランダは「今まで経験した創作活動のなかでも最も楽しいものとなった」とも語っていて、誰ひとり楽しそうに生きている人はいないけど、滑稽でどこか間抜けで醜くて、読者自身の痛さと共鳴するところが必ずある。

 

生々しい。

 

なんていうか、字のまま“人間臭い”のだ。読んでいると本当に、唾液の匂いとか、ゲップ、汗や垢の匂い、じっとりと湿っている寝袋から皮脂の匂いが立ち上る感じが本当に感じられてくる。「うえっ」とか「くっさ」とか思うんだけど、すでにそう感じている時点で作品に没頭してる証だ。匂いだけじゃなく、シェリルの自慰とかセックスとかももうなんでこんなに直接的に肉体的なんだろうと思わせる凄味がある。衝立の裏でチャイニーズの空容器おしっこをして、そのほかほかの容器を抱えながら衝立の向こう側の先生の顔を覗くとか。まともじゃなさが凄い。こんなにも生き物なのに、その生理現象と自分の存在がちぐはぐ。みたいな。

 

突然シェリルの家に転がり込んできて、独占したソファーの上の寝袋で寝起きするクリー。不潔でグラマーで頭が悪くて態度は最悪、そして金髪。そんな彼女と色んな意味での肉体同士のぶつかり合いが始まる。そしてシェリルは彼女だけのやり方で生きることを取り戻してゆく。

 

だけど最初のほうはすごく「あれ?」って思った。“ヒステリー球”とか“クベルコ・ボンディ”とか「いやいやいやいや」って「なんか笑っちゃうんだけど」て付箋を挟んでつぶやく程シリアスが突き抜けすぎていてコミカルだ。

 カラーセラピーとかシェリルが作り上げている“システム”とかも、全然リアルじゃない。なんでそれに行きついた?みたいな。でもヒステリー球が大きくなる場面に出くわすと、なんだか読んでいる自分自身の喉にも違和感を感じてしまう程るわたしはシェリルに自分を重ね合わせてた。なぜなら実際彼女が行っている滑稽なことじたいは現実を上滑りしているものの、生きる痛みだけが辛うじてリアルで現実だからだ。

 

 

結局何を選ぶかだけが大事。みたいなことでは言い表せないのだが、もちろん正しさとか正義じゃなくて、人が限りなく個でありながら、愛がその真ん中にあったり不在だったりする。愛する対象を探していたり。

 

食器もフライパンも洗わないし、風呂の排水溝に詰まった髪の毛も掃除しない。その分セックスの優先順位が高くて、それにかける時間と体力がもの凄い。のだけどだんだんと、そんな風に線引きして「やっぱアメリカ人だわぁ」とか「アメリカ文学だわぁ」とか冷笑的に見ようとする自分が取るに足らない存在に思えてくる。

 

 

 

それから保育器の中のクベルコ・ボンディに語りかける描写は美しい。

みんな時間の内側に存在しているの。…どうかこの部屋だけで判断しないで…あなたはもう生き始めてしまったの。あなたはこれから何か食べたり、くだらないことで笑ったり、徹夜ってどんな感じか知りたくて朝まで起きてたり、…、長い人生にすっかりくたびれて、そして死ぬ。そうなってはじめてあなたは死ぬの。今じゃなく。-(本文抜粋)

 そして死と生の薄い膜の隙間で、昼夜も分からないまま這いつくばるように病院と家を行き来するシェリル。透明の保育器の中で無防備に命を燃やしているクベルコ。シェリルのこの言葉は自分に言い聞かせているようにも聞こえる。やさしく世界があなたを迎えているよ、って。

 

40代の女。イタい女。めちゃくちゃ痛かった。わたし自身のイタさ”が痛かった。そして揺さぶられて。もういちど世界は優しいような気がした。

 

 

最初の悪い男 (新潮クレスト・ブックス)

最初の悪い男 (新潮クレスト・ブックス)